ファンパーク

生まれ育ったコロンビアの田舎町は、決して恵まれた環境ではなかった。
それでもエステバンは、自分の可能性を信じてプロへの道を切りひらいた。
故郷のコロンビアからアジアに渡り、韓国、日本へと続くサクセス・ストーリー。

DFへのコンバートでひらけた夢の世界への入り口

 もの心がついた時から、プロのサッカー選手になることを夢見ていた。お金がなくて練習場に行くためのバス代を払えなくても。スパイクがなくて思い切りボールを蹴ることができなくても。そこにたどり着けると信じていたから、心が折れることはなかった。

「努力を怠らなければ神様は必ず僕を助けてくれると信じてすべてをサッカーに捧げてきました。ほんの一握りの人間にしかプロサッカー選手になるチャンスが与えられないと考えれば、道のりが険しいのは当然だと思っていたし、相当の努力が必要だと常に自分に言い聞かせていました。それはプロになった今も変わりません。プロサッカー選手であり続けるために最大限の努力をし続けたいと思っています」

 サッカーとの出会いは、彼がまだこの世に生を受けていない時のこと。母のお腹の中でずっと「早くサッカーボールに触れたいと願っていた」と言う。いつ、どのタイミングでサッカーを始めたという記憶はなく、気がつけば「まるで空気のように」、彼の側にはサッカーボールがあった。

 だが、経済的にも貧困を極めた当時のコロンビアにおいて、サッカーを続けることは決して簡単ではなかった。彼の家庭も例外ではなく、両親と彼を含めた6人兄弟が生活をするのが精いっぱい。チームに所属するための資金を捻出することができず、道ばたでストリートサッカーに汗を流す日が続いた。ようやく入れるチームを見つけても、そこに行くための交通費がなく毎日バスに乗ることはできない。それでも彼はプレーしたい一心で、「どんなことをしてでもその練習場にたどり着く方法を考えた」そうだ。

「母の自転車を借りられる日は片道1時間をかけて、それができない日は、約2時間強、ひたすら走り続けて練習場に行くこともありました。でも、当時はそれを大変だなんて思ったことは一度もなかった」

 ところが、そうしてすべてをサッカーに捧げ、町のクラブを渡り歩いてもプロの道は一向にひらけず、テストを受けては落とされる、という毎日が続いた。彼の実家のある町をホームタウンとするアトレチコ・ナシオナルもその一つ。コロンビアでもビッグクラブとして知られる同チームの下部組織に入ることがプロへの近道という考えもあり、何とかお金を捻出してテストを受けたが、思うような結果を手にすることはできなかった。

 そんな彼にようやくプロの道がひらけたのは21歳の時だ。いくつものクラブを渡り歩く中では、ボランチや攻撃的MFをすることがほとんどだったが、ある時、所属した小さな町クラブの指導者に左サイドバックをしてみないかと持ちかけられる。そのポジションでのプレーに目を留めてくれたのが、コロンビアリーグ・プリメーラAに属するデポルテス・キンディオだった。

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つづきは、オフィシャル月刊誌「ヴィッセルスマイル」Vol.01[MAY.2013]でお読みください。

ヴィッセルスマイル Vol.01 [MAY.2013]
  • 河本裕之選手インタビュー
  • 「今月の男:エステバン」(エステバン選手特集)
  • タシロの部屋(田代有三選手が吉田孝行選手をゲストに迎えた対談)
  • ポルトガル語講座
    (ポポ選手、エステバン選手、マジーニョ選手、シジマールGKコーチ)
  • 相馬崇人の欧州名手探訪(相馬選手の目線でおススメの欧州名手を紹介) ほか

価格:500円(税込)

「ヴィッセルスマイル」の詳細

エステバン

Profile
エステバン
韓国の昨季ACL優勝チームからやってきた元コロンビア代表MF。豊富な運動量でスペースを埋め、巧みにボールを奪い取るボランチで、守備から攻撃への橋渡し役も担う。サポーターからは「べレス」の愛称で親しまれている。
1982年2月9日生まれ、コロンビア アンティオキア県出身、176cm/66kg