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少年時代に本格的にサッカーを始めた時も、大学を卒業してプロになる時も、
田中英雄に道を作ったのは、彼を見ていた誰かの"一声"だった。
だから彼は、感謝の気持ちを忘れない。それが、プロの道を突き進む原動力でもある。

野球少年からサッカー少年へ 涙に暮れた《転身》の舞台裏

 子供の頃、憧れたのは読売ジャイアンツの桑田真澄だった。だから、小学4年時に入部したのは、野球部。憧れの人に追いつこうとピッチャーになった。ところが、本気でプロ野球選手になることを志していた田中には、週3日しかない野球部の練習がもの足りない。それもあって、部活が休みの日には友だちとキャッチボールに繰り出したが、子供同士の練習ではすぐに遊びになってしまう。そんな田中に声を掛けたのが、サッカー部の監督をしていた、小学5年生時の担任の先生だった。

「身体を持て余しているのなら、野球の練習が休みの時はサッカーをしに来いよ」

 偶然にも、当時はJリーグの開幕直後とあって空前のサッカーブーム。それもあって、テレビから伝えられる華やかな世界、そして『カズ(三浦知良/横浜FC)』の存在に心のどこかで惹かれていた田中は、担任の先生に言われるがまま、休みの日になるとサッカー部に顔を出すようになる。

「Jリーグの盛り上がりやカズさんに惹かれながらも、ブームに乗ってサッカーに乗り換えたと思われるのがシャクで(笑)。『僕は野球派だから』とトガっていたんですが、やってみたらすごく面白くて。最初は『野球部だしボールを取るのがうまいだろう』という理由でGKをやっていたけど、フィールドの選手を見ているとウズウズしてきて、いてもたってもいられなくなって(笑)。かなり前に出て行って攻撃に参加して、慌ててゴールマウスに戻るという繰り返し。もしかしたらそれが今のプレーにも通じる原点かも知れない」

 結果的に、そうした攻撃意識が買われてFWや中盤をするようになると、彼のサッカー熱はますます高まりを見せる。というより、小学5年の終わり頃には完全にサッカーに気持ちが傾いていたが、そのことを母親に言い出せないでいる間に、6年生になる2週間前、母親からあるものをプレゼントされる。桑田真澄モデルのグローブだった。

「6年生になったらサッカー部に入りたい、と言いそびれているうちに、グローブをプレゼントされて。子供心に『こんなにいいものを買ってもらったのにサッカー部に行くなんて言えない』と悩んでいたら、オカンが察したんでしょうね。『何か言いたいことがあるんじゃないの?』と声を掛けてくれた。その言葉に一気に涙が溢れて、サッカー部に入りたいと言ったら、当然『なんで、グローブを買う前に言わなかったの!』と(笑)。それで、『言えなかったんだ~』と散々泣いて気持ちを伝え、晴れてサッカー部に入ることになりました」。

 そこからは本気でサッカーに取り組んだ。「やると決めたら強いチームで本気でやりたい」という思いから、長崎県の強豪、国見中学への進学も考えたが、戸籍を移さなければ国見中学には行けないことが判明し、断念。また地元のスポーツ店のおじさんに「熊本県にも大津高校という強豪校があるぞ」と教えられたこともあって、地元の豊野中学に進学した。

 当時の彼の「やると決めたら本気で」という思いを示すエピソードがある。それは中学時代、入学式から卒業式の日まで1日も休まずに新聞配達のアルバイトをしたこと。憧れの人、カズが高校時代に単身ブラジルに渡ったというエピソードに感化されてのことだった。

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つづきは、オフィシャル月刊誌「ヴィッセルスマイル」Vol.03[JULY.2013]でお読みください。

ヴィッセルスマイル Vol.03[JULY.2013]
  • 杉浦恭平選手インタビュー
  • 「今月の男:田中英雄」(田中英雄選手特集)
  • タシロの部屋(田代有三選手が森岡亮太選手をゲストに迎えた対談)
  • 田中英雄&大屋翼の企業訪問(田中診療所)
  • 相馬崇人の欧州名手探訪(相馬選手の目線でおススメの欧州名手を紹介)
  • 裏いぶき日記(田代編集長が激写した選手の素顔を紹介) ほか

価格:500円(税込)

「ヴィッセルスマイル」の詳細

田中英雄(たなか・ひでお)

Profile
田中英雄(たなか・ひでお)
無尽蔵のスタミナでDFラインから前線までアグレッシブにアップダウンするボランチ。その躍動感あふれるプレースタイルは歴代の監督に重宝され、神戸での8年間でコンスタントに出場機会を得てきた。「自分を育ててもらった」と語るチームのため、今年も最後まで全力で走り抜く。
1983年3月1日生まれ、熊本県宇城市出身、172cm/65kg