ファンパーク

アカデミー育ちの生え抜きは、
2010年、クラブ史上初めてトップチームへの二種登録選手となった。
3年目の2012年に与えられた背番号は、ヴィッセル神戸のエースナンバーである「13」。
周囲の期待は大きい。
しかしそれを喜びに変えて、期待の新鋭は自身の夢である「W杯優勝」へと突き進む。

大きな転機となったアカデミーへの加入

 小学1年の時、1998年ワールドカップ・フランス大会をテレビで観て「いつかW杯に出場して、優勝する」と心に誓った。虜になったのはブラジル代表のFWロナウド。同大会で4得点を挙げ、チームを決勝に導いた若武者のプレーを、大会終了後も録画していた《総集編》で繰り返し目に焼き付け、モチベーションアップに役立てたそうだ。

「2つ上に兄がいたことから、幼稚園の年長組の時に特例で地元三田市のウッディSCに入団しました。当時は……小学1年の頃からガンガン、ドリブルで仕掛けて、バリバリ、シュートを打っていた……と思い込んでいたら、この前、小学1年の子のプレーを観る機会があって。そしたらその年代ではまともにボールを蹴れないんですよね。フランスW杯の総集編を何度も観ていたせいか、小学生時代の記憶となると、なぜかスーパープレーを連発している自分が思い浮かぶのに……きっと妄想ですね(笑)」

 ただし、サッカーに明け暮れた毎日であったことは間違いないようだ。その証拠に、チームの練習以外にも小学校への登校前、休み時間、放課後と、暇さえあればボールを蹴り、友だちと遊ぶ時も必ずサッカーをしたとか。仲間内でテレビゲームが流行っても見向きもせず、テレビ番組も週に数回観る程度。「それだけサッカーをしていたらうまくなって当然でしょ、ってくらいボールを蹴っていた」と振り返る。実際、当時から足の速さとシュート力に定評があった小川は、同学年では目を引く存在で、《ポポ・キャノン》(ポポが決めるミドルレンジからの弾丸シュートの通称)をよく決めていたそうだ。

「サッカーだけはどれだけやっても飽きなかったし、やっても、やっても、やることがあり過ぎて、時間が足りないなと思っていました。基本的に、ウッディSCの指導方針は個人技を磨きつつも『楽しくサッカーをすること』だったのですが、僕らの代は負けず嫌いの選手が多過ぎて(笑)。練習で紅白戦をするとすぐにケンカになってしまうので、土日は必ず対外試合をしていました」

 中でも、彼の負けず嫌いぶりは、相当だったようだ。例えば、小学1年時に校内のマラソン大会でまさかの2位に甘んじた時も、足の速さには自信があったからだろう。負けた相手がマラソン選手だったにもかかわらず、悔しくて毎朝校庭を走り続けた。また、放課後に友だち同士で遊んでいても、それがサッカーとなれば一人、本気モードに。結果、ミスをした友だちに理不尽にキレまくったり、友だちが思うように動いてくれない時は、自分が誘っておきながら「もう帰る!」と怒って帰ったこともあったそうだ。(中略)

 ただ、そうして負けず嫌いだった一方で、知らない選手が多い兵庫県トレセンなどに行くと引っ込み思案な性格が顔を出し、自分のプレーを出せないこともあったとか。その証拠に、チームでは《王様》のごとく中心選手として君臨していた彼も、県トレセンでは口数が減り、目立たない存在に。試合でも全くと言っていいほど自分らしいプレーを発揮できなかった。

 そんな彼の転機は……というより、彼自身があえて自分に変化を求めたのは、ヴィッセル神戸ジュニアユースのセレクションに合格してからだった。小学1年時に心に誓った「W杯優勝」を実現するには「漠然とJリーグのアカデミーに所属しなければいけないと感じていた」彼は、アカデミー入りが決まると同時に引っ込み思案の性格を封印することを決める。

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つづきは、オフィシャル月刊誌「ヴィッセルスマイル」Vol.06[OCT.2013]でお読みください。

ヴィッセルスマイル Vol.06[OCT.2013]
  • マジーニョ選手インタビュー
  • 「今月の男:小川慶治朗」(小川慶治朗選手特集)
  • タシロの部屋(田代有三選手が河本裕之選手をゲストに迎えた対談)
  • 相馬崇人の欧州名手探訪(相馬選手の目線でおススメの欧州名手を紹介)
  • ヴィッセル神戸×GATSBY ヴィッセル戦士がGATSBY HAIR JAMでキメる!!
    (都倉、森岡、松村、奥井選手) ほか

価格:500円(税込)

「ヴィッセルスマイル」の詳細

小川慶治朗(おがわ・けいじろう)

Profile
小川慶治朗(おがわ・けいじろう)
J屈指の俊敏性とスタミナを併せ持ち、対面する相手DFを苦しめ続けるアタッカー。昨季は左MFとFWを主戦場とし、チーム最多の9ゴールを挙げて新エース襲名を高らかに宣言した。ジュニアユースから育ったこのクラブを常勝軍団にしたいという思いは人一倍強い。今季は愛する神戸をJ1復帰させるために全力を注ぐ。
1992年7月14日生まれ、兵庫県三田市出身、170cm/65kg