ファンパーク

「できない自分が嫌だったから、できるまでやり続けた」。
「群を抜いて下手」だったから、ひたすら練習をした。
そうして自らの手でキャリアを開拓してきた彼は今、
新たな"使命"を自身に課して戦っている。
「神戸で何ができるのか。どんな力になれるのか」。
その答えを追い求めて──。

実力主義のヴェルディで心身を磨き上げたユース時代

 「サッカー選手としてのキャリアにおけるターニングポイントはたった一つ。小学6年時にヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の下部組織にあたる読売日本SCジュニアユースのテストを受け、受かったこと。それがなければプロサッカー選手としての今の自分はなかった」

 そんなふうに切り出すあたり、相当の覚悟を持ってテストを受けたのかと思いきや、「チームメイトみんなで受けに行こう、みたいな話になってノリで受けた(笑)」と相馬。しかも、小学生時代に所属していた南百合丘サッカークラブでも決して一番うまい選手ではなかったことや、小学6年時に川崎市選抜の一員として同チームと対戦し0 -7という大差で敗れた経験からも、まさか受かるとは思っていなかったそうだ。

 「当時のヴェルディはすごく強くて、人気チームでしたからね。関東圏のあちこちから300人くらいセレクションを受けに来ていたけど、結果的に受かったのは僕を含めて10人くらい。南百合丘SCからは僕だけ、川崎市から合格したのも確か2人でした。いまだになぜ受かったのかは全く分からない。当時は大してフィジカルも強くなかったし、テクニックなら僕よりうまい選手が他にもたくさんいましたから。おかげで、加入したのはいいものの最初は群を抜いて下手で(笑)。ヴェルディは学年に関係なく能力順にA~Cチームに分類され、2カ月に1回、編成し直すんですけど、中学1年の時はどっぷりCチームでした。同学年には1年生ながらAチームに入る選手も5、6人いたけど、そいつらとは明らかに大きな差があった」

 だから、とにかく練習をした。学校が終わると一目散に練習場に行き、チームの練習が終わってからは照明が消えるまで、ひたすらボールを蹴り続けた。しかも自称「飲み込みが悪いタイプ」で、監督やコーチに言われたことを一発で体現できなかったことから、他の選手の何倍もの時間をかけて一つひとつのプレーを自分のものにしていったそうだ。

 「何をやるにも器用ではなく、実際、他の選手が2、3回やればできることを、僕は何十回もやらないとできなかったですからね。ただ、その分、他の選手が10のうち8くらいのレベルでできたような気になることも、僕は9や10のレベルまでこだわってやったというか。これはサッカーだけではなく勉強でも同じでしたね。人がパッと暗記できることでも、僕は書かないと覚えられないから、何回もノートに書いて……でもその分、何週間経っても忘れない、と。とにかく、どんな小さなことでもできない自分が嫌だったから、できるまでやり続けた」

 そんな彼に、より「なにくそ」という気持ちを持たせたのが、《ヴェルディの環境》だ。当時のヴェルディは中学生世代から、サッカーのうまい下手で格差をつけられるチーム。うまい選手は重宝され、下手な選手はひたすら周りからけなされるというような環境だったが、だからこそ、相馬は「早くうまくなって上にいかなきゃ」と練習に明け暮れた。

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つづきは、オフィシャル月刊誌「ヴィッセルスマイル」Vol.08[DEC.2013]でお読みください。

ヴィッセルスマイル Vol.08[DEC.2013]
  • 岩波拓也選手インタビュー
  • 「今月の男:相馬崇人」(相馬崇人選手特集)
  • タシロの部屋
    (田代有三選手が吉田孝行選手&松村亮選手をゲストに迎えた対談)
  • 相馬崇人の欧州名手探訪(相馬選手の目線でおススメの欧州名手を紹介)
  • 裏いぶき日記(田代編集長が激写した選手の素顔を紹介)
  • 吉田孝行の「これは誰でしょう!?」(最終回) ほか

価格:500円(税込)

「ヴィッセルスマイル」の詳細

小川慶治朗(おがわ・けいじろう)

Profile
相馬崇人(そうま・たかひと)
03年に東京Vでプロキャリアをスタートし、06年に加入した浦和ではJリーグ、天皇杯、ACLでの優勝を経験。08年からはマリティモ(ポルトガル)、コットブス(ドイツ)と海外で経験を積み、2011年7月にヴィッセル神戸へ加入した。攻撃的な左サイドバックとして果敢に攻め上がり、鋭いドリブル突破から好機を演出する。今季は副キャプテンも務める。
1981年12月10日生まれ、神奈川県川崎市出身、176cm/74kg